菊池寛著『貞操問題』
この作品は、昭和9年に新聞連載された長編小説です。新聞連載ということもあってか、古い作品の割には平易に書かれていて、大変読みやすい作品です。
主人公の南條新子は三人姉妹の二番目で、父の死後、浪費家の母に代わり家計の切り盛りをしています。元々は高給取りの父のおかげで裕福な暮らしをしていましたが、浪費家であった父亡き後に困窮しつつあった家計を助けるため、新子は家賃の安い家に引っ越し、通っていた津田英語塾も辞めてしまいます。そして、南條家ただ一人の働き手として、友人の前川路子のつてで、路子の兄、前川準之助の二人の子供の家庭教師として働くことになります。
事前に路子からは、準之助の妻綾子が難物で、前任の家庭教師も綾子との衝突で辞めて行ったので気をつける旨言い含められていました。新子は高慢な綾子から家庭教師として働くことを許されます。そして、前川家は避暑のため軽井沢の別荘で夏を過ごすこととなり、新子も一緒に軽井沢で準之助の二人の子供の教師として住み込みで働くこととなります。幸い子供たちは新子を慕い、新子も家庭教師としての仕事に情熱を注ぎます。
しかし、一足遅れて綾子が軽井沢に到着した途端に環境は一変します。新子にあてがわれていた居心地の良い部屋は取り上げられ、別棟の日当たりの悪い部屋に追いやられます。そして、準之助一家とともに食卓を囲むことも禁じられます。そして、ある時些細な漢字の書き取りの教え方で新子と綾子は衝突を起こしてしまいます。新子は家庭教師を辞める意向を綾子に伝えますが、新子に惹かれ始めていた準之助は新子を連れ出し、引き続き家庭教師として働いてくれるよう新子を取りなします。
しかし、準之助と新子が二人きりで会っていたことを苦々しく思っていた綾子は、新子の職を解き、東京に返してしまいます。新子を追って東京に戻った準之助は、他の職を探そうとしていた新子に、一家を支えることのできる稼ぎの良い仕事として、銀座に新たにバーを開き、この店を新子に任せます。
準之助の全面的な支援もあり、店の経営は順調でした。しかし、準之助と新子が未だに交際を続けていることを嗅ぎつけた綾子は、新子の経営するバーに押しかけ、新子と対峙します。気の弱い新子は黙って綾子の責めを受けていましたが、いよいよ綾子が新子にこの店から出ていくことを申し渡すところに、新子の妹の美和子が助っ人に加わります。勝気な美和子は綾子を言い負かし、退散させます。
そして、折よく現れたものの、近くの資生堂で待つよう女給から懇願された準之助の元に新子が現れます。人通りの少ない築地方面に新子と準之助は歩き始めます。そして、道すがら準之助はどんなに困難であっても新子を手放さない決心を伝えます。
この作品は大衆小説としての面白さに富んでいます。窮乏する家計、軽井沢での穏やかな日々、綾子による新子いじめ、準之助による支援の道をたどり、最後の二つの章にたどり着きます。
最後から二番目の章は、本書のタイトルでもある『貞操問答』です。新子の助っ人として、割って入る勝気な美和子と陰湿な綾子との丁々発止のやり取りは実に爽快です。そして末章『殉愛の道』では読者の期待を裏切らない結末がきちんと用意されています。
菊池寛氏の代表的な長編小説としては他に『真珠婦人』がありますが、やはりこれも読者を裏切りません。短編から長編まで、何を読んでも外れの無い菊池寛氏はさすがです。