『廃市』何度も読みたい名作です
冒頭に北原白秋の『おもひで』が引用されています
この『廃市』という短編小説は、一篇の詩の引用から始まります。その部分はこうです。「・・・さながら水に浮いた灰色の棺である。」
この一節は、北原白秋氏が郷里の柳河(思い出の中での表記)について書いた部分です。そして、この一文の冒頭に、「さうして静かな廃市の一つである。」としています。また、溝渠が巡らされた街には、廃れた遊女屋があり・・・。そして、「変化多き少年の秘密を育む。」というセンテンスを経て、引用の部分にいたります。
恐らく、福永武彦はこの一文にインスパイアされ、空想物語『廃市』を書いたのでしょう。
『廃市』の舞台は柳川ではありません
しかし、小説『廃市』の舞台は、北原白秋氏の郷里の柳河ではありません。それは、文中に出てくる地名や、主人公Aの回想の発端となった事件が記録に無いことでもわかります。物語は、A氏が、ある町が大火で燃えてしまったことを新聞記事で知るところから始まります。
物語はA氏の回想です
大学生のAは、卒業論文を書くためにひと夏を過ごす宿を探していました。そして、叔父から勧められるままにその町に行き、遠縁の貝原家に行くことを決めます。そこは、立ち入るのを躊躇させるように、大きく立派な旧家でした。そして、その家に着いた最初の晩にAは女のすすり泣く声を聴きます。人気のないその家には、安子とその祖母の他に、数人の使用人がいるだけでした。
いるはずの人がいない
しかし、安子の話では、姉の郁代と入り婿もいるはずでした。
短い小説ですので、展開が速いです。そして、旧家のしきたりに辟易としながらも、Aはその街を気に入ります。しかし、その一方ですすり泣いていた声の主は誰なのかが脳裏から離れません。もしや、安子の声なのかと考えてもみましたが、快活な安子からは、すすり泣く様子を想像できません。そして、姉夫婦は一向に姿を見せません。
ちょっとしたミステリーの様相を増しながら物語は進みます。
夏休みが終わりになるころ、事件が起きます
ネタバレになりますので、あらすじはこのくらいにしておきましょう。しかし、この物語の最後の一節が実に切なく、余韻に満ちています。別れ際に安子はAに言います。「・・・こんな町のことなんかすっかりお忘れになるわ。」 そしてAは、こう返します。「そんなことはありません。」
しかし、Aは二度とその街に行くことは無く、すっかりわすれていました。その町が大火で燃えてしまったことを報せる記事を読むまでは。
映画の『廃市』も大変よくできています
映画の『廃市』は、原作となったこの『廃市』を忠実に映像にしてあります。しかし、映画で主人公がAでは会話が成り立ちませんので、映画では江口となっています。そして、別れ際のシーンでは主人公のこころの動きを、尾美としのり演じる使用人に語らせています。
何度も読んでほしい作品です。そして、映画の方も是非見ていただきたいです。おススメです。