『夜明け前』を巡る旅

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magome金曜の夜から、島崎藤村氏の『夜明け前』の舞台を巡る旅に出ておりました。「木曽路はすべて山の中である。」で始まる『夜明け前』の序の章に書かれている「伊那の谷からの通路にあたる権兵衛街道の方には・・・米をつけた馬匹の群れが・・・」のとおりに、伊那から権兵衛街道を通って馬籠の宿にある藤村の生家跡まで行ってきました。 伊那から続く権兵衛街道は権兵衛トンネルが開通したことで、伊那から30分程で木曽に出られるようになりました。権兵衛峠には旧道も残されているのですが、既に廃道に近い状況のようです。伊那から馬籠の宿までは、車で2時間程、距離にして80キロほどです。途中、旧中山道にも立ち寄ってのですが、狭く急峻な道で、荷を背負った馬が通るには随分と難儀をしたことと思います。それほどに木曽の地は中山道で上は京都、下は日本橋を結ぶ一大街道の中間にあたる土地ではありますが、容易に行き交うことのできる場所では無く、そこに生まれ育つ人にとっては隔絶された場所だったのかも知れません。同じく島崎藤村の『新生』に書かれているような鬱曲した背徳は、ある意味馬籠という風土が齎したものかも知れません。 藤村の生まれ育った本陣址に建てられた藤村記念館にも立ち寄ったのですが、そこはまさしく『夜明け前』の世界そのままで、万福寺のモデルとなった永昌寺も本陣跡から杉木立越しに確認できます。そして、明治の大火で唯一焼け残った隠居所は往時のまま残されていました。この隠居所は『夜明け前』で、「年老いた吉左衛門の養母が・・・隠れた隠居所」として書かれています。 全てが『夜明け前』に書かれたままの姿でした。記念館には藤村直筆の原稿も残されています。何度も推敲した跡の残る原稿には、その創作への情熱が感じ取れます。そして、絶筆となった『東方の門』に至っては、その箇所が展示されており、極めて感慨深いものでした。