一緒に過ごした時間を、誇りに思います

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kata数週間前に、群馬県にある旧富岡製糸場跡に行ってきました。今年、世界遺産に登録され、多くの観光客が押し寄せていました。正門を入り、目の前にある東繭倉庫跡に行くと、プラスチックのうちわが配られており、そのうちわに、「一緒に過ごした時間を、誇りに思います。」という言葉が書かれており、片隅には最後のオーナーとなり、創業停止後も富岡市に譲渡されるまでの18年間、維持管理に努めてきた片倉工業の社名が印刷されていました。

売らず、貸さず、壊さずの3原則を貫き、世界遺産への登録を成し遂げる道筋を作った崇高な思いには頭が下がります。しかし、製糸工場というと、鼻を突く蛹の匂いや、『あゝ野麦峠』に書かれた女工哀史の印象が強く、それを裏付けるように、一時富岡製糸場のオーナーであった原三渓の残した広大で贅を尽くした横浜三渓園に思いを馳せると、程度の差こそあれ暗い過去はあったと断ぜずにはおけないでしょう。

最後のオーナであった片倉工業に於いても、諏訪に有る公衆浴場である片倉館の現代にも通用する豪華な造りを見る限り、ある種の搾取と暗い過去があった事を髣髴とさせます。もちろん、明治5年の創業当初は官営であり、従業員のほとんどは士族の出身で、厚遇されていたという史実に誤りはないでしょう、しかし、民間に払い下げられた後はどうだったのか。少なくとも自動紡績機が導入されていなかった昭和初期は人は生産設備の一部であり、ひどいものだったのではないかと想像します。富岡製糸場の掲出物や説明には、このあたりがすっかり抜けており、創業当初と近代化された操業停止直前の事しか触れられていません。

さて、片倉の時代になってからは、積極的に自動化が進められたようで、労働環境は大幅に改善されたと思われます。ただ、それとて副蚕場の匂いは想像に難くないですし、きれいごとだけで世界遺産に登録されたことには少し考えさせられるものがあります。