有川浩著『塩の街』

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何年も前に買ったにもかかわらず読んでいませんでした。所謂”積ん読”状態(電子書籍なんで積んですらいないんですけどね)でした。正確には一度読み始めたのですが、最初の何ページか読んでこの本がSFだとわかった時点で読むのを止めてしまいました。そうなんです、私はSFが苦手なんです。

私がSF嫌いになるきっかけとなったのは松本清張氏の『神と野獣の日』です。某国から日本に核ミサイルが誤って発射されたことによる混乱を描いたものなのですが、どうにも嘘くさくて没入できませんでした。SFに限らず小説にリアリティーを求めてしまう私の癖がそうさせてしまうのです。例えば和田竜氏の『のぼうの城』は実際にあった事柄に肉付けをして一つの作品にしています。登場人物の一人甲斐姫は実在しなかったという説もありますが、今でも行田に行けば忍城は存在し、石田三成が築いた石田堤もわずかではありますが痕跡を残しています。つまり何百年も前の事柄が起きた場所を訪れ、思いを馳せることができます。

一方SFには作者と読者の共通認識がないため共感できる接点が僅かで作品の世界に没入することが困難です。一方、村上春樹氏の『ねじまき鳥クロニクル』(SFというよりファンタジーかな?)のように、時代背景や舞台がしっかりプロットされていれば十分共感できます。

さて、今回読んだ『塩の街』ですが、時代背景は現代です。何となく携帯はあるけど、スマホが普及していないころの日本が舞台となっています。季節は夏、二日前から何も口にせず重い荷物を背負って国道を歩く青年が疲れて倒れるところから話は始まります。高校生の真奈は倒れた青年を自分が住む家に連れ帰ります。その家では秋庭という男が真奈の帰りを待っていました。

その青年が話すには群馬県から東京まで思い荷物を背負って歩き続けてきたこと、その目的は綺麗な海に行くということでした。秋庭は盗んだ車にその青年と真奈を乗せ鎌倉に向かいます。そして海に着いた青年は背負ってきた荷物を解き、中から出てきた塩の塊を海の水につけます。秋庭と真奈は後ろを振り返ることなく車でその場所を離れます。青年の背負っていた塩の塊は青年の幼馴染の女性の亡骸でした。そして、その青年も半ば塩になっていました。

ある日空から降ってきた塩の塊、そしてその塩の塊を見たものは次々に塩の柱になってしまいました。真奈の両親も恐らく塩になり、塩の塊が降った日以降家に戻ることはありませんでした。政府は機能せず、商店も営業できず、通信手段も機能しませんでした。テレビも同じ内容のニュースを繰り返し流し続けるだけでした。街では空き巣や略奪行為が横行し、それを取り締まる警察も塩化によりその力は削がれていきました。

そして、身寄りのない真奈を自身の家に住まわせた秋庭は塩化の原因について調査を進める入江に拉致され自衛隊練馬基地に幽閉されます。入江と秋庭は高校時代の同級生で、入江は警察幹部に、秋庭は航空自衛隊でパイロットをしていました。秋庭は東京湾の人工島にそびえ立つ巨大な塩の結晶を破壊するため、米軍基地に忍び込み、戦闘機を盗んで塩の結晶を攻撃します。

整合が取れるよう色々と仕掛けがあります。例えば自衛隊に所属する戦闘機には地上爆撃用の装備がないため、在日米軍基地に忍び込むとか、入江は囚人を塩の結晶で作った部屋に閉じ込め塩化のメカニズムを研究するなど。しかし、残念ながら嘘くささはぬぐえません。そもそも塩の塊なら消防車で根元に放水を続ければ根元からぽっきりいって海に転がり落ちるんじゃないの?とか、爆撃したら塩の結晶飛び散っちゃってもっと大変なことになるんじゃないの?とか、どうしても意地悪に見ちゃうんですよね。

ということで、この本、SF嫌いの私は好きではありません。