宮本輝著『泥の河』

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宮本輝氏といえば随分と多作で、全ての作品を読むのは至難の業でしょう。個人的に好きな作品は『錦繍』で、その他には『睡蓮の長いまどろみ』も好きです。『錦繍』は独特の韻を踏んだ書き出しが印象的で、『睡蓮の長いまどろみ』は仏教の教えである因果倶時が全体を通してのテーマになっており、また塩苅峠で起きた事故のエピソードも織り込まれています。読み方によっては宗教的な何かを感じることでしょう。

宮本氏の書く小説のプロットは見事で、一見唐突と思えるエピソードも何一つ無駄になっていない緻密な構成となっています。今回、あえて初期の作品である『泥の河』を読んでみた理由も、作者の見事な構成力が初期の作品でどのように発揮されていたのがを確かめてみたいという思いもあってのことです。

『泥の河』は映画化された作品で、映画の『泥の河』は白黒映像の作品で、これは恐らく昭和30年という高度成長期直前の、まだ残っている戦争の残り香を表現する目的だったのでしょう。ただ、映画の方は残念ながらあまり印象に残っていません。映画の方の印象が良くなかったこともあって、宮本輝氏のデビュー作且つ太宰治賞を受賞した『泥の河』にはこれまで食指が伸びませんでした。

始めて『泥の河』を読んだのですが、作品中かなりショッキングな場面もあり、これを映像化するのは困難だったのでしょう。そんなこともあり、映画の方は印象の薄いものになっていたのでしょう。

『泥の河』の舞台は大阪の堂島川と土佐堀川が交わり安治川となる辺りです。川沿いに立つ食堂を営む両親の子信雄と、橋脚に繋がれた屋形船で暮らす少年喜一のひと夏の交流を描いたものです。信雄と喜一は小学二年生ですが、船上で暮らす喜一は学校に通っておらず、喜一の姉銀子も同じく学校には通っていませんでした。船の家は二つに区切られていて、喜一と銀子の暮らす部屋とは行き来ができないもう一つの部屋に喜一の母親が暮らしていました。

信雄は喜一と親しくなり、二人はお互いの家に出入りするようになりますが、信雄は父から「夜はあの船に行ってはいけない」と告げられます。喜一の母は身体を売ることを生業としていたのでした。そしてついに信雄はその場面を見てしまいます。

祭りの日、信雄と喜一は縁日に行くのですが、そこで喜一はロケット花火を売る屋台で万引きをします。それを良しとしなかった信雄はその日を境に喜一とは疎遠になってしまいます。

信雄の母は喘息もちで、その症状は日に日にひどくなっていきます。信雄の父は新潟に移り住み、自動車の板金屋を開きたいという夢を持っていました。新潟への移住は喘息の転地療養にもなると母を説得し、営む食堂が相場よりも高く売れる運びとなったことも手伝い、母も渋々新潟への移住を呑みました。8月の半ばには新潟に移り住むと決まったある日、喜一の住む船は別の船に曳かれて川を遡り始めました。信雄は最後の別れをしたい一心で川沿いを走って船を追いますが、どんなに呼びかけても船からの答えはありませんでした。

なんとも切ないお話です。少年の出会い、すれ違い、そして別れという話の流れは、樋口一葉の『たけくらべ』を髣髴とさせます。信雄と喜一のひと夏の短い交流、それに花を添える無口な銀子への思い、銀子と喜一の訪問を喜ぶ信雄の両親、そしてここに来たことは両親に話してはいけないと諭す喜一の母。この人間模様の描写はみずみずしく見事です。短い作品ですが、心に残る名作です。

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