甲斐弦著『GHQ検閲官』

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この本の末尾にこんな文言が記されていました。「本書は、令和4年2月3日に著作権法第67条1項の裁定を受けて作成したものです。」

つまり、この本の権利者との連絡が取れない状態のようです。権利者に支払われるべき印税相当額は供託されているということです。著者の甲斐弦氏は既にお亡くなりになっていますが、この本にも登場するご子息とも連絡が取れないということなのでしょう。

この本は、平成7年に上梓されたもので、著者が戦地から復員してGHQの検閲官として働き、そして検閲官を辞するまでを描いた作品です。この本の半分ほどは復員して、貧困にあえぎながら職探しをする様子が描かれています。タイトルである『GHQ検閲官』について、冒頭から中程までは触れられていないことに少し落胆を覚えました。しかし、この前半部分が無ければ外地から復員した者がいかに虐げられていたか。いかに困窮していたか。そして、アメリカの犬と自嘲しながらも、不本意な検閲官の職を得なければならなかったのか、その背景は理解できないでしょう。

もちろん今の日本にGHQはありませんし、検閲官もいません。しかし本書には気になる一節もあります。この本は平成7年に、著者が検閲官時代に書き記した日記を素に書かれたものですが、検閲は自主規制と名を変えて今でも行われていると書かれています。俗な言葉で言い換えるなら、「ボツ」とか「お蔵入り」でしょう。さすがに個人の書簡が開封されることはないでしょう。しかし、電話はどうでしょうか?Lineは?新聞や雑誌は検閲とは呼ばれない自主規制という名の検閲が行われていることは想像に難くありません。

そもそもGHQが作った日本国憲法第21条で検閲はしてはならないことになっています。しかし、憲法を作った張本人のGHQが検閲を行っていたというのはどういうことなのでしょうか。考えさせられる一冊です。