『暴走する新自由主義』ポール・クレイグ・ロバーツ著
『暴走する新自由主義』。本書は、米国のレーガン大統領時代に、経済政策担当財務次官補を務めた、ポール・クレイグ・ロバーツ氏の著書です。本書は。2013年に上梓された”The Failure of Laissez Faire Capitalism”の邦訳版です。
10年前の米国の状況が、現在の日本の状況に酷似している
素人が見ると、米国経済は絶好調のように見えます。しかし、本書が書かれた2012年の米国の実情は違っていたようです。その部分を、本書から引用します。
”アメリカ人は社会的にも収奪されている。(1)上昇するためのはしごが外され、(2)大学教育はもはや中間層へ導く道ではなく、(3)何百万人もの人々が家やキャリアを失い、(4)所得の中央値は何年も下がり続け、(5)所得と富の配分は上層部に偏っており、少数の人々が富と、富の生み出す所得、そしてお金で買った政治権力を支配している。”
これは、まさしく現在の日本の状況のように思えます。では、米国はなぜこのような状況に陥ってしまったのでしょうか。
生産の海外移転によって雇用も海外に移転されてしまう
近代の米国は、国内で製造した工業製品を輸出することで豊かさを謳歌していました。しかし、やがて賃金の低い発展途上国に工業製品の生産拠点を移すことで企業は、より大きな利益を得るようになりました。当初海外移転された職種は、高等教育の必要のない、工場労働に限られていました。しかし、やがてソフトウェア開発や金融分野なども海外移転が進みました。また、H1Bビザ(高度人材に与えられる就労ビザ)を使って、外国人労働者が米国に流れ込みました。しかも、彼らの賃金は低く抑えられました。その結果として、米国人労働者を職場から追い出す形になりました。
海外移転できない職種の大半は高等教育を必要としない
もちろん、海外移転のできない職種は残されます。これは、医療、介護、飲食店店員、小売店店員などです。しかし、これらの業種の大半は高等教育を必要としません。これにより、米国の大学教育はその重要度を低下させてしまいました。また、これらの職種の多くは、移民や海外からの出稼ぎの労働者と同等の低い賃金水準です。
産業の海外移転はなぜ起きたのか
米国GDP低下の元凶である産業の海外移転はなぜ起きたのでしょうか。それは、上場企業に課せられた四半期決算が一つの要因となっています。CEOは、四半期決算ごとに良い数字を出す必要にせまられました。これは、株主や投資ファンドからのプレッシャーによるものです。そして、CEOは対価として、莫大な報酬を得ます。そして、良い数字を手っ取り早く出すために、人件費の削減に着手しました。最初は製造を海外に移転しました。しかし、やがて設計、研究開発等の高度な分野も海外移転の対象となりました。
賃金の均衡により海外移転は止まるはずだった
アダム・スミスの『国富論』によれば、安い賃金で労働力を提供してきた国も、やがて賃金の上昇が起き、海外移転は沈静化するはずでした。しかし、移転先の中国やインドは膨大な人口を抱えています。このため、賃金の上昇は簡単には起きません。したがって、海外移転は加速するばかりです。つまり、アダム・スミスが提唱した自由主義経済理論は破綻しました。そして、英国の経済学者ジョン・メイヤー・ケインズのマクロ経済理論が試されました。しかし、これもカーター政権時代のインフレ抑制に失敗しました。つまり、自由主義理論もマクロ経済理論も破綻していることが解ってしまったのです。そして、規制緩和とグローバリズムに立脚した新自由主義が跋扈することになります。
著者の示した処方箋は?
著者は、規制緩和とグローバリズムに警鐘を鳴らします。その部分を引用します。
”規制緩和とグローバリズムを応援してきた考えなしの経済学者たちは、自分たちが最悪の事態を引き起こしてしまったことを全く理解していない。米連邦準備理事会が債権を購入するための紙幣を印刷しなくなれば、金利は上昇し、債券市場や株式市場は崩壊し、失業率はさらに上昇し、財政赤字も拡大することだろう。”
では、米国の経済を立て直すにはどうしたらよいのでしょうか? 少し引用してみましょう。
”研究、開発、設計、イノベーションは、モノが作られる国で行われるということを誰も理解していないということだ。”
つまり、生産の海外移転によって、国内での研究、開発、イノベーションが失われるということです。
”短期的な利益でCEOの報酬を決めないこと。CEOがアメリカ国内の労働者を切り捨てることで、すぐに金持ちになれる限り、貿易赤字は増え続け、より多くの大卒者がウェイトレスやバーテンダーとして働くことになる。”
全ての謎が解けた気がします
これまで、日本経済の先行きを危惧する書籍を何冊か読みました。しかし、どれも本書に比較して薄っぺらで近視眼的に感じました。また、何となくモヤモヤとしたものも感じました。しかし、本書は、さまざまな経済理論の説明に始まり、その欠陥を明らかにすることで、モヤモヤを払拭してくれました。
分量も多く、読解の難しい部分も少なくありませんでした。しかし、一読に値する良書であることは確かです。
そして、著者はこんな一文で締めくくっています。
”人工資本の蓄積によって経済成長を促すことに重点を置いた「空っぽの世界」の経済学は、もう限界だ。「満杯の世界」の経済学は定常経済学であり、経済学者たちがこの「満杯の世界」を対象とする新しい経済学に取り組むべき時期は、とっくに来ているのである。”
ここでいう「空っぽの世界」とは、自然資本≒天然資源が潤沢で、枯渇や環境破壊への配慮が必要なかった過去の世界です。そして、「満杯の世界」とは、限られた天然資源と、廃棄物による環境破壊への配慮が必須となった現在の世界を指します。