報道に悪意は無いか
2012年3月20日
2021年12月15日
北朝鮮が人工衛星の打ち上げを行うようです。今回の打ち上げでは、国際機関への通知も行われており、辿る軌道についても公表されています。しかし、何故か日本の報道ではいつの間にか人工衛星の打ち上げがミサイルの発射に読みかえれれてしまいました。
国会では、田中防衛大臣が、PAC-3での迎撃について言及するなど、異常な反応が見られます。以前にも北朝鮮がロケットの発射実感を行った際に、北朝鮮側はあくまで平和利用を強調していたにも関わらず、ミサイルの発射と報道し、国民に対し無用な不安を植え付けていました。ミサイルと人工衛星を打ち上げるロケットの区別が付かない日本の政府や、鵜呑みにして報道内容をコロリと変えるマスコミの姿勢には疑問を持たざるをえません。
それは、恣意的に事実を捻じ曲げているのではないかという疑問・疑念です。そして、対話を疎かにしている政府の姿勢です。元首も変わり、新しい体制に生まれ変わろうとしている国と対話をし、理解しすることこそ不幸な過去を清算する近道ではないかと思うのですが。
別に、北朝鮮の肩を持つわけではないのですが、何故信頼する事から始められないのか、何故敵対しようとするのか、その姿勢に問題があるのではないでしょうか。
私の好きな言葉に「薔薇献じたる手に余香あり」という言葉があります。与える事によって与える側も豊になる様を表した言葉です。敵対から得られるのは反目だけです。先ずは理解する事から始めるべきだと思います。