村山由佳著『放蕩記』

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houtouki『星々の舟』『ダブル・ファンタジー』に続いて『放蕩記』です。この作品自体読者サービスかなと思われる部分があり、例えば、『星々の舟』に描かれた登場人物の複雑な続柄に関しては書評に対する反論として説明されていますし、『ダブル・ファンタジー』に関する世間の風当りに関しても妹の言葉を使って補足されています。

物語は、過剰な制約を娘に与え続ける母親とそれに反感を抱き続ける娘の心模様が実に丁寧に描かれています。そして、母親への反抗として、母ならば絶対許さないことであろう諸々を経験しそれによって母への密かな優越感を得て自立し、そして最後にはそんな母を許しを与える暗示で物語は終わります。

自分は男ですから、作者の意図した受け取り方とは違う受け取り方をしているはずですが、ここに描かれた母と同じように裏表を使い分ける女は知っていますし、過剰に縛る女も少なくありません。そういった意味ではさもありなんなのですが、制約される側にとってはたまったものでは無いのでしょう。ただ、作品中、妹の言葉として、そして実家から持ち帰った段ボールが示すように実は一番ヒイキされていたのは”夏帆”だったのでしょう。でも、兄も感じ取っていたように正しく愛されていなかった、寧ろ競い合っていた。恐らくは自分よりも多くのものを持ちあるいは持つであろう娘とは母娘を忘れて女どうしとして競り合っていたのかも知れません。

最終章で語られる父の告白、そして両親の家からの帰り道兄と二人きりの車の中で交わされる会話は『星々の舟』の墓地での会話のメタファーに思えます。学生時代に関係を持つ先輩はそのまま『ダブル・ファンタジー』の岩井を髣髴とさせますし、志澤を髣髴とさせる人物も登場します。そうやって考えると、この作品を書いたときには既に”大介”との終わりは計画されていたのか?(『ダブル・ファンタジー』の結末で奈津と大林ははぐれてしまうのですが、これこそが”大介”との別れの暗喩ではないかと。ある記事によると、作者は後に二度目の離婚をされているとか。)

『放蕩記』は作者の半生を描いたものと言われていますが、もしそうであればこの作者は身を削るようにして作品を書いているのだと思います。ここまでさらけ出されると、寧ろ今後これを超える作品が生み出されないのではないかと心配になります。村山作品を理解する上でも本作は重要でしょう。