『森の生活 – ウォールデン』

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森の生活『森の生活』ですが、極めて難解な本です。そして長大です。勿論翻訳ものですから、翻訳者の意向によっても翻訳には差異はあると思います、ですが、総じて『森の生活』は難解に感じます。恥ずかしながら原文で読みこなす語学力はありませんが、原文でもかなり難解であるらしいです。訳者である神原栄一氏によるあとがきにも「・・・正直なところ、理解の容易でない箇所もある。」と、書かれているほどです。しかし、神原氏の翻訳には翻訳者の判断による注釈も多く挿入されており、そういった意味では丁寧な翻訳と言っていいでしょう。

本書は著者であるソロー氏が1845年から1847年にかけて米国マサチューセッツ州コンコードにあるウォールデン池に住んだ時の生活について書かれたものです。現金収入を得るために豆畑を作り、住むための小さな家を買い取った小屋からはぎ取った廃材で作り、冬になれば暖炉を作り、時に魚を釣り、時に耕し、時々訪れてくる者をもてなし、そんな生活を送る中で観察し、思索した事柄を一冊の本にまとめたものです。

ソロー氏はインド哲学や古代中国の詩歌にも明るかったようで、随所にこれらが引用されています。

著者はその時既に都市に蔓延していた拝金主義に異論を唱え、その不自由な生活に批判的な目を向けています。例えば、「・・・家具がそうだ。あのような荷物を見ても、私はそれがいわゆる金持ちのものなのか貧乏人のものなのか、どうしても区別がつかない。いつもきまってその持ち主が貧乏人のように思われてくるのだ。事実そういう物をたくさん持っていればいるほど貧しいものなのだ。」と説いています。

その一方で、自然の森、そしてそこに生きる動物たちには尊敬と憧憬の思いでこれらを賛美しています。著者はそれまで見たことの無い飛び方をする鳥をじっと観察します。「奇妙な、こもったような鳴き声を立てて何度となく舞い上がると、凧のようにまた何度ももんどりうってその自由な美しい降下を繰り返し、まるで大地に一度も降り立ったことがないかのように大きく降下しては姿勢を立て直す。この宇宙に仲間というものはいず・・・ただ独り大空で戯れているのだ・・・また、自分が戯れているその朝と青空以外何もいらない、といった様子であった。寂し気なところがなく、むしろその下方に広がる大地すべてを寂しく見せていた。そのタカを孵した親鳥、そして天なるその父は何処にいるのだろう?空の居住者よ!」。恐らく著者は自分を空に遊ぶ鳥に投影していたのではないでしょうか。
『森の生活』は何十年も前から中途半端に読んではそのまま放置し、気が向けばパラパラと眺めてみたりしていて、通して読んだのは恥ずかしながらこれが最初でしょう。それもそのはず、『森の生活』は十八の章から成っており、最初の章は「経済」という副題の極めて退屈でだらだらとした章でこれのおかげで挫折してしまうんですね。これから読む人にちょっとしたアドバイスを。最初の数章はすっかり飛ばして読むことをお勧めします。それは、ソロー氏を理解する為にさほど重要ではないのですから。

時々読み返してみたい本です。これまでそうしてきたように。